公共図書館でのアイデアの価値観

 昨日のエントリーでICEカップヌードルは、他社が真似したくても真似できないアイデアだから素晴らしいって書いたんだけど、よく考えるとこれは競争前提の民間企業の論理だった。

公共施設の場合、みんなが簡単に真似できるアイデアの方が、すぐに普及して社会全体の効用は向上させる良いアイデアという事にはならないか?

例えば、図書カードにTポイントカードを導入するのはCCCと提携している図書館にしかできないので、それよりもどの図書館でも汎用的に導入できるポイントカードの仕組みがあればベターってこと。

もっとも、すぐにコモディティ化してしまうアイデアだと、最初にそのアイデアを思いついて試行錯誤して実績を残した図書館が報われない気もしてくる。

今年も図書館総合展のフォーラムで開催されるLibrary of the Yearの候補館の募集がされているが、こういった良い図書館を表彰する取り組みで、独創性だけでなく図書館全体の底上げを図るアイデアを出した図書館に注目が当たる仕掛けを、図書館の世界全体でうまく作っていければいいんじゃないかと思った。

ICEカップヌードルに思いを馳せる3分間

 カップラーメンは昔から好きなのだが、お腹まわりを気にし始めてからはもっぱらカップヌードルLightを食べている。

春雨ヌードルとかミニサイズだと今一つ満足できず、かと言って低カロリー路線のカップラーメンってカップヌードルLightしか見当たらないのだ。

先日、スーパーでカップヌードルLightのチリトマト味が発売されているのを見かけ手に取ると、
パッケージに「夏はICEで!」と書かれていて氷を入れた食べ方が紹介されていることの気づいた。
気にはなったものの、その時はスルーして普通にそのまま食べた。

ICEカップヌードルの紹介動画を見てからやっぱり食べてみようと思った。
イントロダクションのなかで、なんで(ICEカップヌードルには)Lightなんですか?という問いに、
「198kcalにするために日清独自の製法でつくっているんですね。
そのために、他のカップめんと比べて温度が冷えても比較的脂が固まりにくいんですよ。」と答えている。

感心した。もともとは低カロリー路線のために開発した製法をうまく活かしたのであって、
冷やして食べることに適した商品を作るための追加の開発コストがかかってないってことじゃん。
その上、氷を入れるだけっていう単純なアイデアなんだけど、
製法技術の優位性でそれに適した商品は他になく、他社は簡単に真似できないって状況になっている。
なんとも上手いアイデアだ。

「198kcal」「食物繊維たっぷり」とか言った営業的なコンセプトだけじゃなくて、
一歩踏み込んだ「温度が冷えても比較的脂が固まりにく」っていう商品特性をちゃんと理解している人がいて、
それを活かした新しい提案ができるってのはやっぱり感心する。

肝心の味の方はというと、ちゃんとおいしい。冷やしてもカップヌードルなんだと実感。
暑い夏に、冷たくて辛いチリトマト味は結構うけるんじゃないかな。


メモ:コツとしては冷めたかどうかの温度確認は底の部分を触った方がいい。横の部分と底で素材が違い、横を持って冷めた気がしても、底を触ると熱かったりする。ちゃんと冷やすなら底を確認。

図書カードをTポイントカードにするんだってさ

 普段Twitterなんかは通勤の電車の中でやっているのでGWの間はすっかりアンテナ低くなってました。

てなわけで色々議論されていることもつゆ知らず、図書カードをTポイントカードにするんだってさ」って話を聞いたときも、へぇポイント貯まっていいなってのが率直な感想。
それに、貸出情報を有効につかうノウハウはあるところがやるんだから、いいアイデアじゃんって思った。
以前の記事でも図書館の貸出情報を出版社に提供しちゃえって書いてる位だし、情報はどんどん活用したほうがいいと思ってるんだ。

そんなお気楽な感想を持った私とは違って、Twitterから流れてくるコメント個人情報の流出とか、図書館の自由に反するとかそんな感じで炎上してることに遅まきながら気付いた。
図書館の自由に関する宣言で「第3 図書館は利用者の秘密を守る」とあり、貸出履歴をTポイント加盟の会社間で使いまわすなんて図書館的にはありえなーいという事のようだ。

私の図書館の自由のイメージというのが有川 浩の図書館戦争
を読んだ印象なので、
世間に流通させちゃダメと判断された本でも図書館はその本を守って誰でも読めるようにする、そんでもって、その本を読んだ人が本を読んだ理由で弾圧されたりしないように最大限配慮する。そうすることで、思想信条の自由とか表現の自由が守れるんだぜみたいな感じ。
ある種の特別な本をメインに据えた活動指針みたいなもんだと思ってた。

普通に生活している感覚としては、出回っている本を読んだ貸出履歴が漏れても、弾圧されるなんてことが想像つかないんだよな。
ブクログで自分の読んだ本を公開しているけれど思想信条の自由を制限されるような危機感を覚えたことないし。
特別な本の貸出履歴は保護して図書館として大事な部分は守りつつ、フツーの本の貸出履歴はうまく活用しちゃっても問題ないと思うんだよね。

貸出履歴を分析されたりするのは、なんとなく気持ち悪いっていうのはわかるけれど、
例えば、100円分のポイント貯まりますがカード作りますか?と、10000円のポイント貯まりますが作りますか?
だったら答えが変わってくる様に、気持ち悪さと釣り合うポイント付与額みたいな落としどころがあるんじゃないかな。
取扱いに関しては個人情報の保護に関する法律なりを守ってくれればまぁいいかみたいな。

Twitterは図書館関係の人ばっかりフォローしてるので、市長の声と、図書館の声と、セキュリティ担当者の声は聞こえてくるんだけど、一般の利用者はどう思ってるんだろうか。

なんやかんやいってもプライバシーに関することは理屈じゃなくて感情的な側面がでるので、今回はあえて自分の肌感覚に任せて書いてみた。

読み聞かせやってみた

 ゴールデン”ウィーク”どころか気づけば一か月もブログの更新さぼってしまった。


てことで本題。読み聞かせをやってみました。「おれたちはパンダじゃない」って絵本。
と言っても子供相手ではなく酔っ払い相手のままごとですが、それでも体験してみてわかることってあるなと。
実際読んでみて難しいって感じたのは、擬音語、擬態語が多さとか。
黙読のときは雰囲気だけ味わっとけばいいけど声に出すとつっかえること、つっかえること。

他に気になったのは、セルフが絵の一部として描かれている場面とかあるんだけど、
そういった場面はのセリフはスルーなのか?適当に本編と合わせて読むものなのだろうか?
とか絵本って自由に描かれてるけど、読み聞かせようと思うと案外悩ましい。

あとは読み方じゃないけれど、新品の本だったこともありページがうまくめくれなくて失敗した。
ページの開き癖って大事なんだと実感。

そんなわけで初回のよみきかせはグタグタな感じでした。
酒飲みながらやってるので、そもそも呂律がまわっていたのかどうかも怪しいけれど・・・


おまけ
本屋さんで「よみきかせノート」なるものを発見したので紹介しときます。
よみきかせの記録を継続してとるといいことあるよってことですね。

雑誌スポンサー制度について考えてみる

雑誌スポンサー募る 「来館者全国一」県立図書館“ のニュースを見たので雑誌スポンサー制度について考えてみた。

県立図書館(岡山市北区)は、館内閲覧用の雑誌のカバーに企業や団体の広告を掲載し、
広告料として雑誌の年間購読料を負担してもらう「雑誌スポンサー制度」をスタートさせた。
財政難の折、少しでも経費を削減し、浮いた金を図書購入費に充てる狙いで、
中国地方の県立図書館では初。担当者は「来館者数が全国トップの年間100万人なので、宣伝効果は抜群です」と売り込んでいる。(有留貴博)

図書館が独自に財源獲得を目指すっていうのは良いことだし、
収入確保の為に運営のノウハウを競う要素が加わるっては素晴らしいと思う。
図書館の場合、一冊の雑誌を大勢で読みまわすので、
製本コストからみると雑誌広告モデルってのは適っている気がする。

ただちょっと気になるのは広告掲載のスペースについてだ。

広告掲載スペースは、雑誌の最新号のビニールカバーの表紙の一部(縦4センチ、横13センチ以内)と裏表紙の全面だ。

雑誌の裏表紙には、もともと広告入ってるとのに、
その上にさらに図書館が募った別の広告をかぶせるってはありなのか?

販売数に応じて広告スポンサーが広告費を負担していると想定すると、
図書館での利用された分に関しては、図書館が別の広告を募って儲けても問題なさそうだけど。
(例えば、1万冊売れたのでスポンサーは1万円の負担。でも、実際の読者は1万1千なので1千円は図書館の儲け。)

もし、もとから図書館での利用は織り込み済みで、読者数に応じて広告スポンサーが広告費を負担しているとしたらどうだろう。
(読者数が1万1千人なのでスポンサーは1万1千円負担)
この状況で図書館が別の広告を上からかぶせる行為は、スポンサーにとってはいい迷惑なわけで、
スポンサーを降りるということにつながらないだろうか?
そうなると雑誌の品質とか価格とかに影響が出てくるので心配である。

ただ、もとから図書館での利用は織り込み済みだったとしても、
図書館の配架の工夫などでさらに読者数が伸びているとしてら、その分は図書館の儲けにしてもよい気がする。

雑誌スポンサー制度が単純にダメと言いたいわけじゃない。

そこで提案だが、広告掲載スペースを雑誌の最新号のビニールカバーではなくて、雑誌棚にするのはいかがだろうか?
これなら雑誌の裏表紙に広告を出していたスポンサーに迷惑かけないし。
雑誌の裏表紙に広告を出してるスポンサーも、図書館が募ったスポンサーも、その雑誌が利用されたときに広告効果を発揮し、利用されればされるほど広告効果が高まるので、みんな同じ方向を向いて頑張れる関係になれるんじゃないかと思う。
雑誌棚に広告

本屋の使い分け

 電子書籍も使えば使うほど便利さを実感するもので、kinoppyはすっかり生活の一部になりました。

雨降ったり、風邪ひいたりして外出るのめんどくさってなっても、その場で買ってすぐ読めるってのはほんと便利です。

とは言っても、近所の書店も使うし、amazonも相変わらず使います。
どこで買っても値段も内容も同じなんですけど、自然と使い分けているの整理してみた。

■町の書店
・メリット
立ち読みして本の中身を吟味できる
ブラウジングで新しい本と出会える
・デメリット
買い物の為に移動の手間がかかる。(天気の悪い日はなおさら)
重たくてまとめ買いしずらい
営業時間が決まっている

※使う場面
仕事帰りなどによることで移動の手間を最小限に抑えながら、
新刊チェックや面白そうな本との出会いを求める。

■amazon
・メリット
店舗の大きさに左右されないので品揃えが豊富
どこにいても購入手続きができる
在庫の有無がすぐにわかる。
・デメリット
中身が読めない
ブラウジングしにくい
買ってから手元に届くのに時間がかかる

※使う場面
売っているかがすぐわかるので、欲しい本が決まっているときに使う。
仕事の関係で受取が土日に限られてしまうので意外と不便を感じていたり。

■kinoppy
・メリット
どこにいても購入手続きができる
売り切れがない
買ってすぐに読める
・デメリット
中身が読めない
ブラウジングしにくい

※使う場面
自宅や出張先で、すぐに本が読みたいときに。



同じ価格、同じ内容だとしても買い物にかかる手間(移動距離、探しやすさ、・・・)
の大小でいろいろ使い分けていたんだなと改めて気づきます。

「本を送りません宣言」ってなんだ?? その2

昨日のエントリーで「本を送りません宣言」というのは「お腹いっぱい宣言」とまとめたが、今日はその続き。
宣言で、やたら「古本」に言及しているのが目につくなぁって言う事ふくめ、本文をじっくり読んでみる。

便宜的に本の種類を3種類に分ける。貴重書の類は考えないことにする。
新品:支援者が新たに買って被災地に送るもの
未使用品:支援者が所有しているもので状態が新品同様のもの
古本(A~Z):新品より状態が劣るもの。汚れ度合いによってA級→Z級

被災者が望むのは当然新品に準ずるものだよね。
新品と未使用品は状態が一緒なので被災者の効用は同じだけど、
経済を刺激するという意味も含めて新品の方がより支援になるだろう。
震災直後に「過度の自粛はやめよう」って発言とおんなじ。

古本は喜ばれないだろうか?
新品に準ずる本だけで需要が満たせない(需要>供給)のなら、
状態の良い古本Aなどは十分に支援としての価値はあるだろう。
もっとも、捨てるぐらいなら被災地に送ろうよ的な気持ちの古本Xなどは、
被災地でもゴミだろうけど。こんなの送るのは残念な感じだ。
宣言本文1もうなずける。

本を送るという行為は、本を贈る(プレゼントする)という行為です。私たちは通常、少なくとも「古本」を大切な誰かに贈りません。
ですから、私たちは被災地や被災者に「古本」は贈りません。

大きな失敗だったのは、一瞬にして供給過多(需要<<<供給)になることを予測、制御できなかったことだろう。
みんながみんな献本プロジェクトに協力しようぜって言って本を集めて送った結果、
一瞬にして0→100を通り越して200、300となってしまった集団の善意の失敗という形だろう。
私なんぞは全くわかってなかったけど、実際のとこプロジェクトの中心にいた人たちにとっても、
震災直後にどんな本がどのくらい必要かという把握や、どのくらいのペースでどれ程の本が集まるかの予想って難しかったじゃないのかなとは思う。

宣言本文3のこれ

被災地には「本」で営みを立てている方々もいます。善意に基づいて大量に送られる本は、実は被災地にある書店等の「知」の経済環境を破壊します。
ですから、私たちは、新品を含め、被災地や被災者に「本」を送りません。

ニュースで一冊のジャンプをみんなで順番に立ち読みしているといったニュースが感動的に取り上げられていたけど、
そんな仕入れもままならず商売どころじゃない状態であれば献本は支援として成り立つが、復興が進むにつれて被災地の書店の商売の邪魔になると。
そして実際には物流の復旧は支援者の想像しえないほど早く、支援を通り越して破壊になってしまったと。
復興で大事なのは物資を行き渡らせることにとどまらず、被災地の産業振興、雇用促進まで見据えないとってことですね。

宣言本文2も見てみよう。

本は重くかさばり、場所をとります。実は本はたいへん扱いにくいものであり、被災地の限られた空間や人手を奪います。
ですから、私たちはこの事実を常に意識し、被災地に古本を送りません。また、新品を贈ることにも慎重にふるまいます。


本を送りません宣言の反響ほか #saveMLAK
 からコメントを拝借するが、宣言はこう見える。
・「本を贈らず図書カードを送ります宣言」でもいいかもしれん?
・「モノではなくて金を送ろう」ってことなんですよね?
現実の問題は、需要と供給のバランスだけでなく管理コストも考えなきゃならんと。
管理コストが小さくなるように、本より現金のがいいじゃんってことだね。

でも、需要・供給の把握と違って、本より現金の方が管理が楽なんてことは最初からわかるじゃない。なのになぜ献本だったのか?
私の気持ちだけど使途不明の寄付金よりも、図書館復興のためとか目的がはっきりしてるとこに寄付しようって思う。
本を送るにしても、どの本を送るかを選べる方が支援もしたくなる。
私のように感じる人が多いのなら、現金で集めようとするよりも、本で集める方がたくさん集められる。こういうことじゃないかと。
事実は本をたくさん集めることには成功したが、結果としては残念になったようだけど。

長々と書いてきたので簡単にまとめよう。
要は現地の状況を適切に把握して、必要なとこにベストタイミングで支援できれば善意を無駄にせずハッピーなんだよね。
被災地から遠く離れた人が適切な支援をするには?
これは被災地のリアルタイムでの正確な情報があればいいね。公正な観察者の目でとらえたやつね。
そうそうsaveMLAKの趣旨って被災情報を集め、必要とされている情報を発信だよね。
てことで宣言はちゃんと趣旨に帰結できた。

「本を送りません宣言」ってなんだ??

 カレントアウェアネスで「saveMLAKが東日本大震災被災地に「本を送りません宣言」(仮称)を発表 」というのを見かけた。
送りま”せん” と書かれていることに気づいた瞬間ちょっと困惑した。
半年以上前だが私も復興プロジェクトに協力する形で本を送った身なので、この宣言の内容は気になる。

本を送らない主な理由は前文に書かれているこれかな。

“訪ね歩いた被災地の多くで、対処に困る状態になっている数々の本を目にしてきました。支援者の善意に感謝しつつも、困惑する被災者の姿も目にします。”

ふ~む。以前に、私が本を送ったプロジェクトは喜んでなかったのかなぁと思い、久しぶりにそのプロジェクトのサイトに訪れたところ、
8月の時点でたいはんの本は受付を休止という状態。

20万冊近い本が集まり、重複するものや充分な量に達する書籍も出てきました。そのため、まことに恐れ入りますが現在受付をしていないものがございます。

11月は強調表現で本そのものじゃなくてリストを送ってというお知らせになっている。

献本をお考えの本について事前にご相談頂きますようお願いいたします。FAX、またはメールで本のリストを送って頂ければ、こちらで献本して頂きたい本をご回答させて頂きます。

どうやらもう満腹で、これ以上は特別おいしいケーキ以外は苦しくて食べられないよという状態らしい。
「本を送りません宣言」というのは「お腹いっぱい宣言」ということか。これなら納得。
宣言のあとに<それでも「本を送る」際の目安10ヶ条>を載せているぐらいなので献本を全否定しているわけじゃなさそうだ。

そんなわけで過去の自分の善意を肯定できる解釈を見出せてほっとした。
ちょっと余裕が出たところでこの宣言を見返すと、やたら「古本」に言及しているのが目につく。
この辺もいろいろ考察してみたいけど、もうお腹いっぱいなので今日はこれにてお開き。

1/19 続きのその2書きました。

本棚の共有

 あけましておめでとうございます。


今年は妹から出産祝いとお年玉をよこせとの督促され実家に帰りました。
私の部屋は物置兼猫のアスレッチックにされているのですが年々ひどくなっていくばかり。
あきらかに途中で飽きたと思われる世界のなんちゃらみたいなのが未開封で山積みされているし。
犯人は父親なんだけど、父親の部屋はすでに入口を残して壁はすべて書棚で埋まっていてもはや限界という感じでした。
2匹の猫はうまくスペースみつけてくつろいでたけど。

私が子供のころから父親の部屋には大量に本があり、よく勝手に拝借していました。
ブルーバックスがたくさんあってよく読んだ思い出があります。
中学生や高校生になるにつれて父親の部屋から拝借せずとも、
読みたい本はどんどん自分で買うようになり、結局私の部屋も本だらけになっていました。
そうなってくると逆転現象というか、私の部屋から無断で本が持ち出されるようになっていき、
本は家族で共有という状態になっていました。

電子書籍は場所をとらず便利でいいのですが、こういった経験をすることが難しいので、
貸借機能とか、本棚共有機能みないな発展をしていくと面白そうだなと思っています。

kinoppy キノッピー

 kinoppyを使い始めたんだけど、結構気に入った。


「電子書籍を一度購入すれば、多様な端末で再購入なしに再ダウンロードできること」が特徴なんだけど、ほんとこれ助かります。
Kindleでは当たり前だけど国内でこういうのあんまりないんだよね。

今まであまり電子書籍の利用に積極的じゃなかったのは、ダウンロードしたファイルの管理が苦手なんです。
バックアップに気を使わなきゃいけないとか、端末変えるたびにデータうつさなきゃいけないとかめんどくさいし。
1冊1ファイルとか、1冊1アプリとかも苦手。ちらばるし、どこいったかわからなくなるし。
そんなわけで、iOSもAndroidもOKでかゆいところに手が届いたkinoppyが便利なんです。


ただkinoppyを使っていて不思議なのは、デバイスというかサイトによって同じ本でも値段違うんだよね。
パソコンでは紀伊國屋書店BookWebから、ipadではkinoppyのアプリ経由で利用しているんだけど、紀伊國屋書店BookWebの方が安いっていう本が結構ある。
例えば「日本経済の奇妙な常識」という本、紀伊國屋BookWebの電子版の価格は630円(書籍版は777円)。
でも、ipadのkinoppyのアプリでは700円になっている。Appleへの仲介手数料の差だろうか?
結局どこで買っても全ての端末にも同期できるので、安い紀伊國屋書店BookWebで買って、ipadで読むという事をしている。

ちなみにipadのアプリからは、「まんがビブリオバトル読本」など5冊の本が無料公開されているので、暇な人はkinoppyを試してみてね。